いい嫁をやめるまで

10年かけて同居解消、そしてほぼ疎遠状態になるまでの記憶と記録

もれなく小姑

同居を始めて、幾度となく

「ご飯食べに行きませんか?」
と姑に声をかけて外食に行った。


息子が産まれる前も、産まれた後も。
息子の面倒を良く見てもらっていたのでそのお礼、というので息子が産まれてからの方多くなってたかな。家族で外食しようかって話になると、姑に声をかけていた。


で、姑に声を掛けるとかならず返ってくる言葉があった。


「どうしよう、今日〇〇(小姑)は夕方には帰ってくると思うんだけど・・・。」
「どうしよう、今日〇〇(小姑)はバイトが遅番で帰ってくるの遅いのよ・・・。」


自分が私達家族と食事に行くと、娘(小姑)の食事がない、という趣旨の言葉のようだ。
娘の夕飯の心配をしているわけです。


で、それ以上の言葉は決して発せず、こちらの出方を必ず待ちます。


夕方に帰ってくるなら、それまで待って私たちが「小姑も一緒に。」って言葉を待つわけ。


ホントに毎回毎回、食事に誘うと必ずまず
「〇〇(小姑)が~。」と言い出す。


別にね、小姑をわざわざ誘わない、仲間外れにするつもりはないですよ。現にその時小姑が家に居たら、誘ってましたから。でもね、こちらは旦那のいる週末とかしか一緒に行けないわけだし、小姑のバイトのシフトなんて気にしませんて。


それに、とりあえず、”息子の面倒をみてくれる姑に対して”のお礼であるから、誘ったとしても小姑はおまけなわけですよ。ついで。


最初の頃は
「あ、じゃあ、小姑さん帰って来てからにしますか?」
と小姑の帰宅待ちで出かけてました(←いい嫁キャンペーン中)。


でも、本当に毎回毎回誘う度に
「〇〇が~。」
って言ってからの”待ち”(こちらから小姑を待ちましょうという言葉待ち”が嫌になりまして・・・。


後半戦はとりあえず私が誘って、
「〇〇がぁ~。」
と言った地点は、私は一旦退散。小姑を誘うのか誘わないのかは旦那に任せました。



で・・・すごく嫌だったのが
結局小姑も誘い食事をした後、姑も小姑も
「ごちそうさま」
を言わず、さっさと店を出る事が重なり・・・。
別に感謝されたいとかじゃないんだけどね?こちらが日ごろの感謝のつもりでお誘いしているわけだから。でもね、ひと言あってもよくない?あったら気持ちいいでしょ?


だんだん誘うのが面倒になってきました。
声かけてからの事も、「ごちそうさま」を言われない事もストレスになりました。


ある時、小姑が夜までバイトだったけど、誘える日がなかなかなかったため、小姑抜きで回転寿司に行ったことがあったんだけど、食べていても姑はなんだかソワソワしていて、


「〇〇にお土産包んでもらおうかしら。」


とか言い出しました。


1人前のお土産寿司を頼みだし
「これは私が払うから。」
と。


とりあえず、回転寿司とは言え、外食を楽しんでいる最中に
「〇〇が~。」
と・・・。


なんか、もう疲れました。


めんどくせ~~~~!!!



もう30超えて、一応バイトだけど、家に対してお金いれてないけど、働いているわけでしょ?ひと言「今日は夕飯ありません」とかメールも留守電でも残せばさあ、なんとかするでしょうに。弁当買うとか、食べて帰ってくるとか、自分で帰って何か作るとか・・・なんならカップラーメンとかだっていいじゃん。


なんか、小姑誘わず、小姑の夕飯を気にしない私が気の利かない悪者みたいで・・・最後にはもう、誘うのやめて、自分たち家族だけで外食するようになりましたよ。向こうは向こうで外食するときは息子だけ誘ってくる・・・みたいな感じで、私達夫婦を誘ってくることはなかったしね。


娘は・・・いくつになっても娘なんですかね?
私は息子しかいないけど、将来そうなるのかしら?


とにかく・・・何をするにもだいたい小姑がついてきたし、誘うのも面倒、反応も面倒ってことで、最後の方は全く誘わなくなった、というお話でした。

里帰り出産

旦那実家に同居開始と同時に入籍。
3か月しないうちに妊娠が発覚した。


よくもまあ、あんな部屋割り(完全同居での部屋割り事情~新婚夫婦の向かいの部屋に~ - いい嫁をやめるまで)で子供が出来たもんだって話だけど。


子供が出来たと分かった地点で私は”里帰り出産”することを自分の中で勝手に決めてしまっていた。私の地元の友人たちは地方に嫁いでもほぼ”里帰り出産”をしていたので、普通に、当たり前に”子供が出来たら臨月~出産~産後落ち着くまで実家で過ごす”ものだと思いこんでいた。


それよりもなによりも・・・
こっちで産んで、退院後この人たちの中で産後の床上げまでを過ごすという事が私の中ではあり得ない事に思えていた。姑は基本とても優しい人なので、きっと床上げまで私が出来ない分の家事等を引き受けてくれるだろう。でも、私がそれに対して気を使ってしまい、身体は休ませられるかもしれないけど精神的に落ち着かない。なによりも、ただでさえこの家でこの人たちと同じ屋根の下で24時間一緒にいる事が苦痛になり始めていたので、とにかく出産前後の短期間だけでも逃げ出したくて仕方なくなってきていた頃だったので。


おまけに、姑は「いいわよいいわよ」と言いながら、後から忘れたころに文句を言う人なので、その時言葉通り甘えてしまっても後々何か言われるのが嫌で、無理して全部自分でやってしまうだろう。


そんな思いもあり、私の中ではいつからか
”里帰り出産は当然の権利”
位な勢いに膨れ上がっていた。


が・・・


どうやらそれは間違いだったようだ。
間違えでもあり、私の勝手な思い込みが強すぎたようだ。


妊娠発覚の時はすぐに姑にも報告をした。姑にとっては初孫。旦那さん(舅)を亡くしてずっと沈んだ気持ちの中でのおめでたいニュース、それはそれは喜んでくれた。


その後、いつ頃だったかは覚えていないけど落ち着いた頃、里帰り出産したい旨を伝えると、とたんに不機嫌になった。これは最後まではハッキリとは言われなかったけれども、その後私が子供を連れて実家に遊びに行ったりすることを完全否定する様になるので、姑的には”里帰り出産”はナシ、だったんだろう。その頃の私は「なんでだろう?」と言うモヤモヤ感だけが残っていた。


旦那に伝えた際は
「初めての子供だし、出来れば側で出産してほしい。」
とは言われたけれど、もはやその頃の私には譲れない案件だった。


もうもう、逃げたい一心で勝手に”里帰り出産”強行突破することにした。
実家近くの産婦人科に出産の予約を入れてしまった。



産むのは私なんだから自分が一番安心出来る所で産みたい。


果たして予定通り臨月に入る前に地元に戻り出産、産後を実家で過ごすこになるわけだけど、本当に帰って良かったと思っている。


難産で最後には吸引分娩になってしまった事もあり、出産後歩くこともままならない状態。退院後も産後の肥立ちが悪く、実母に頼りきりな生活になってしまっていた。これは実の母だから頼れた事であり、きっと嫁ぎ先で産んでいたら精神的におかしくなってしまっていたのでは?と今でも思う。出産の痛みがトラウマとなりちょっとしたパニック障害っぽっくなっていたし、体力的にもボロボロの中で小さな新しい命を育てる事で精一杯だった。そこに24時間同じ家に他人がいて足音やドアの音にビクビクする、大姑、姑、小姑に気を遣う・・・多分私は壊れていたと思う。



幸い出産したのが金曜日だったため、主人は翌日の土、日と病院に来ることが出来た。申請すれば家族も病室に泊まれる病院だったため、土曜日は新しい家族3人で過ごす事が出来た。


さて。
ここからも私が思っていた事と全く真逆の考えの姑がいた。


私は子供が産まれたら、遠くても孫の顔見に病院、または実家に顔を出すものだと思っていた。お祝い持って。飛行機の距離とはいえ、朝イチの便に乗って最終便で帰っても十分間に合う時間だ。しかし、姑は一度も顔は出さなかった。


それどころか、勝手に”里帰り出産”した私に対して、大事な初孫、出産前後を共に過ごした私の両親を良く思っていない発言を旦那に愚痴っていた。


姑からしたら内孫なので、外孫である私の両親が出しゃばってる。
しまいには
私の両親が産まれた孫を返すつもりがない。私と息子はもう帰ってこない。
私の両親には孫、女の子二人(兄の娘)はいるが、男の子は初めてだから、離したがらない。
そのつもりで”里帰り出産”を決行した。
「孫が取られた」発言多数。


当たり前ですがそんなつもり全くないですって!!


ちゃんと息子の一か月検診が終わったら帰りますって言ってるでしょ?
そもそも横取りするとかいう発想ないですって。
内孫だろうが外孫だろうが、女の子だろうが、男の子だろうが、両親にとっては同じ孫なんだから。


そんなに私の事を「嫁」とか息子の事を「内孫」とか言いはるなら、出産前後約2か月、あなたの「お嫁さん」とあなたの「内孫さん」がお世話になる私の両親に
「お世話になります。よろしくお願いします。」
のひと言あってもいいんじゃないですか?


ついでに言うと、
これは地方によりあったりなかったりする風習?習慣?らしいけど、嫁が里帰り出産する間の生活費として婚家がその里にお金を包むってあるんですよ?
私の友人はそうだったらしいです。お姑さんが実両親に10万だか20まん包んだらしいです。


そんな話を聞いていたもんで、これまた私はこれが当たり前だと思っていた。
地方出身の兄嫁は嫁ぎ先(私が出産した病院、産前産後は私の実家)にいたけど、兄嫁のご両親は遠方にも関わらず、病院にも来たし、実家にも挨拶に来てくれた。


全て育った環境、土地柄、常識、考え方が原因なんですね。


今はそれが分かったからそこまで思うことはなくなった・・・と言うか、分かってきたから「ああ、またか」ですませられるようになってきたけど、当時の私は自分が育った環境、土地、常識、考え方が全てだったので、どこまで話しても説明しても分かって貰えない、分かって貰えないだけではなく、こちらを非常識扱いされることに本当につらかった。


「嫁」失格ですね。
頑固な私には、郷に入れば郷に従え。婚家に従え・・・が出来ず、この考え方の溝といつも戦っていました。


さんざんひどい事書いてるけど・・・私もたいがいダメダメでしたね。


否定されればされるほど意固地になってた自分がいたりしました。


さて、一般的には”里帰り出産”って当たり前じゃないんでしょうか?
今でも分かりません。散々否定されたんで。

初めてのお正月事件

という事で、思い出した事を徒然なるままに。

結婚して初めてのお正月。

舅が亡くなったので喪中という事で特に正月らしい準備はなかった。
私は妊娠7~8か月になっておりました。


この頃はまだ姑の姑である大姑がいて、その大姑がブイブイ言わせていた頃である。大姑に関してはいつか書きたいと思っているんだけど、とにかくこの大姑…私はカゲで「意地悪バァさん」と呼ぶくらい性格がヨロシクなかった。もちろん姑もそんな大姑とは合わず、姑も姑問題で苦労をしていたわけだ。


さて、お正月。
この頃旦那は仕事で多忙を極め、毎日夜中に帰ってくる生活。その日中に帰って来られたら「早いね」レベル。休日出勤当たり前、正月休みにやっと何日か休めるという状態。喪中という事もあり、正月休みはゆっくり溜まったDVDでも見て過ごそうか、という感じになっていた。


2日の朝起きてダイニングに降りたら、なんか姑がイライラしている。


「え?私何かやったっけ???」


姑曰く、大姑にまた何か言われてイラついていると。(よかった私じゃなかった)


「家に居たくないから、どこかに出かけたい。」


と。



えっと・・・それは私に言ってるんでしょうか?


この頃の私は絶賛「いい嫁キャンペーン」初期段階だったため、


「お姑さんがなんか出かけたがっているから、うちらがどこか連れてくぅ?」
と、旦那に言ってみた。こっちは家でのんびるする気満々だったから、重い腰を上げるのにちょっと勢いが必要だったけど、とりあえずお姑さんにどこに行きたいのか聞くことにした。


「どこに行きたいですか?ショッピングならデパート、軽く観光なら近場の観光地とか。美味しいもの食べたいなら行きたいお店とか。どこがいいですかねぇ?」
等々、お姑さんが”気晴らし”にしたい事、場所をインタビュー。


しかし


それに対する答えはなし。


「とにかく出かけたいのよっ!!」

と、なぜがプチ逆ギレ。



えっと・・・?



私もこの土地に来てから1年経ってないので、どこに行ったらいいのか全く分からない。せめて”何がしたいのか”位リクエストを出してくれたらネット等で調べられるし、旦那にも聞けるのに。


結局、夕飯の支度の時間まで、大姑を一人にしてもいい時間があるので、16時頃には戻って来なくてはならないし、どこに行きたいのかも言わないので、旦那と私で考えて、


高速に乗り、サービスエリアに寄る。犬が2匹いたのでその犬も乗せてサービスエリア内のドッグランで遊ばせる。


と言う案を出した。
高速に乗り、サービスエリアに行けばちょっとしたドライブ気分、遠出気分を味わえる。最近ニュースでドッグランが出来たってやっていたので行ってみよう


と。


姑、小姑、旦那、私、犬2匹で出発。



サービスエリアで買い食いして、犬達を遊ばせ、2つか3つ先の高速出口を出て、帰りは同じ道ではつまらないのでした道で帰ってきた。


昼時を過ぎていたので、帰りの下道沿いで
「何か食べましょうか?何が食べたいですか?」


と聞いても


「なんでもいいわ。」


と。


もう、よく分からないので、国道沿いにあったジョイフルにイン。
この辺になると、さすがに「いい嫁キャンペーン中」の私も


「いい加減にしてくれ」


と思い始め、旦那にこっそり伝えたりしていた。旦那ももう投げやり状態。


極めつけは・・・。


ジョイフルを出る時、私を残して全員がさっさと車に向かっていた事。


「ちょっとちょっとちょっと~~~!!!!誰が支払うんですかあ????私しか残ってんですけどぉ~~~~!!!」

確かにこの頃、生活費の管理は私が任されていて、家の財布は私が持っていましたよ?この昼食代はその生活費から出せって意味ですか?こっちは出かけたくもないのにわざわざ重い腰上げて、どこに行くかも決めて車も出したんですよ?そもそもこの「お出かけ」は誰のためなんですか?


私はここのジョイフル代は姑が出すと思って疑わなかったけど、そうじゃなかったみたい。姑は一切出す気なし。財布も出さずにさっさと店出てたし。


ついでに言うと・・・。
高速代、ガソリン代、全部うち持ち。帰ってきたら「いくらだった?」とか聞かれるものかと思ってたよ。高速の出口に近づいたら「これで払って。」って出してくれるものだと思ってたよ。


でも、そうじゃなかった。


「出して下さい」とは言えなかったんだよな~、この頃は。


もう、ただ、ただ、ジョイフルのレジで一人残され茫然としてたのを覚えてる。
もちろん我が家の家計から出すのもしゃくだったので、生活費から出してやったけどね。


「誰がいいだしたんですかぁ?出かけたいってぇ~~~~~~!!!!誰のためのお出かけですかぁ~~~~~!!!」


こっちは”付き合って””連れていってあげてる”立場なんだけどなぁ。なんでこっちが交通費、食費全部出さなくてはいけないの???


以前にも何度か書いた、嫁ぎ先でのお財布事情・・・こんな感じの事がこの先何度も繰り返される事になる。


私は学生の頃から誰かの車で遊びに行くときは、ガソリン代高速代、運転手以外で割るというのが当たり前と思って来ました。実家の両親をと車でどこかに出かける時は必ず「車代」とそれ以上のお金を包んでもらってたのでそれが当たり前だと思ってた。


違ったみたいです、この家では・・・。


衝撃過ぎて忘れられない『初めてのお正月事件』でした。