いい嫁をやめるまで

10年かけて同居解消、そしてほぼ疎遠状態になるまでの記憶と記録

”ちゃん”から”さん”へ

結婚して同居開始時、小姑は私とは姉妹になるのだから、と好意的に受け入れてくれて、私を”翼ちゃん”と呼ぶようになった。
歳は上だけどそこまで離れていなかったので、私も彼女を”〇〇ちゃん”と呼ぶことにした。


しかし、ある事をきっかけに、私は彼女と一線を置く事を決め”〇〇さん”と呼ぶようになり、今までタメ語で喋っていたのを敬語を使って話すようになった。かなりよそよそしくなり、他人行儀に意図的にする事にした。


そのきっかけとは・・・。


同居開始当初から、小姑とは合わなかった。30超えて自立せず好き勝手な事をして、それでいて家ではすごく偉そうにしていたから。
たまに会うのであればそこまで嫌ではなかったはず。しかし、舅が亡くなり、姑の少ない遺族年金と旦那の給料(私は当時無職)で10年程前に新築した家のローンを払いながらの生活の中、アルバイトしかせず、そのアルバイトもシフトが減ってきているというのに他に仕事を探そうともせず、家に入れる生活費も入れたり入れなかったり・・・、同居という嫌な部分しか見えない負でしかない生活だったので余計。年齢が近かったのも理由かな。同年代として許せない思いが強かった。


息子はつかまり立ちが出来る月齢になっていた。
ある日、姑がインフルエンザにかかり、部屋で寝込んでいた。うつってはいけない、と、息子も寝室から出さない様にしていた。他の大人が保菌していたら嫌だし、同じ空間にいさせるのが怖かったので。


夕飯時になった。普段から私が夕飯を作っていたので、普通の事だったんだけど、息子は動き回るため2階の寝室のベビーベッドの中。子供番組を見せ、下で夕飯の準備をしながら5分に1回位様子を見に行く・・・の繰り返し。支度中に何十往復もした。
大姑もいたし、もちろん小姑の分、帰ってきてから食べる旦那の分、息子の離乳食、姑用のお粥・・・バタバタと必死に作った。


小姑は・・・休みだったのか知らないけど、ずっと部屋から出て来なかった。インフルエンザで寝込んでいる姑と同じ部屋から。


支度中何十往復も2階と1階を私がしているのは音で分かるはずなのに、一切出て来ず、何も手伝ってくれなかった。茶碗を出すとかお茶を入れるとかも一切。お粥を持って行った時に寝込んでいた姑が(階段の上り下りを何度もしていた事に対して)「大変だったわね。ありがとう」と言ってくれたので、気づかないわけがない。


全て出来上がり、テーブルに全てが整った頃に小姑がごそごそと降りてきた。


私はもう、怒りを通り過ぎて呆れていたし泣きそうになっていたので、もう一緒に食事をする気が無くなっていた。
「おばあちゃん(大姑)呼んで食べて下さい。私は後で旦那と食べます。」
とだけ言って息子のいる寝室に飛び込んだ。


旦那が帰ってくるまで部屋に籠った。


母親がインフルエンザで寝込んでいる。同じ部屋だから知らないわけがない。大姑もいるのでご飯の支度をしないわけにはいかない。息子を見に何度も何度も階段を往復しながら一人で全ての支度をしているのに、何も手伝おうとしない・・・あり得ない。気づいているのに何も言わない姑にも腹が立った。全てを手伝えって事じゃない。茶碗だしたりお茶入れたり、箸準備したり・・・そんな事すらもしようとしないのか。



旦那が帰ってきて、自分達の寝室に夕飯を運んで食べた。多分、外食以外で家族3人だけで食事をするのは初めてだった。なんて幸せなんだろう。3人だけの夕食。


夜10時か11時過ぎ、小姑が出ていく音がした。車の音がしたので出かけたのだろう。


家族がインフルエンザで寝込んでいて、嫁が子供抱えながら全ての家事をしているのを見て見ぬふりをしてその夕飯を食べ、夜遊びに行った小姑。許せなかった。


その何日か前にブチ切れて
「私たちは家族じゃないの!?(うどん事件 - いい嫁をやめるまで参照)
と泣きわめいて訴えていたくせに。


あなたの言う家族ってなんですか?


家族が病気になったとき、助け合うのが家族なんじゃないですか?
寝込んでいる母親がいるのに、夜遊び行っちゃうのが家族なんですか?


えらそうに「家族」「家族」って語っているあなたってなんなんですか?


あなたの言う「家族」には私はなれません。


という事で、私の中で何かがプチっと切れ、”この人は「家族」ではない”と理解し、「他人」という認識を持った私は翌日から


〇〇さん
と彼女を呼び、
必要な事以外はしゃべらず、必要な事は最低限で敬語で話す事に決めた。


こうしてどんどん彼女と壁を作る様になって行ったわけです。
でもこれは、遅かれ早かれ、いつかは来る事だったと今でも思います。


ひどい嫁ですか?

うどん事件

嫁いで1年半位経っていた頃だろうか。
息子が6か月とか7か月になっていたと思う。絶賛同居中。


嫁ぎ先は自分達で食べる分の野菜、米を近くの田んぼ、畑を借りて作っていた。都会育ちの私にはそれが新鮮で、最初は手伝っていたのだけれども、妊娠後期から息子が産まれてからは手伝えない状況になっていた。
姑は午前中畑に行き、その間わたしは乳飲み子である息子の世話や家事、昼食の準備等をしていた。


小姑は相変わらずアルバイトをしていたけど、バイト先の業績が悪く、シフトが入っていても昼すぎには帰ってきたり、突然休みにされたりして部屋に籠っている時間が長くなっていた時期だったと思う。


その日も姑は午前中畑に行っており、昼前には戻ってくるので私は姑、大姑、小姑の昼ごはんプラス息子の離乳食を作り始めていた。息子がグズっていたのでおんぶか抱っこをしながらうどんをゆでる準備、のせるものの調理、テーブルセッティング等をしていた。小姑は朝から一度も部屋から出て来ない。多分まだ寝ていたのだろう。
アルバイトに行くのか、休みなのかも知らないけど、この時間にまだ家にいるならとりあえず昼は食べるのだろう。全員分作るのに彼女の分だけ作らないわけにも行かないし、この頃はすでに小姑と話をするのもキツかったのでわざわざ「食べますか?」と聞く事もしなかった。


姑が11時半頃畑から戻ってきたのでうどんを茹で始めた。相変わらず息子がぐずるのでおんぶか抱っこしたままで。


それを見た姑が、さすがに私が息子抱えて昼食の準備をしているというのに娘が全く手伝わない事にビックリして2階の姑と小姑の部屋に上がって行った(部屋割りに関しては完全同居での部屋割り事情~新婚夫婦の向かいの部屋に~ - いい嫁をやめるまで)。


2階で揉めているような声・・・そのうち小姑の奇声・・・。
おそらく姑が小姑に対してお小言を言い、それに対して小姑が逆ギレしていたのだろう。


2階で親子喧嘩が勃発していた・・・まではいい。肝心なのはそこから。


スネた小姑は部屋から出て来なくなった。


うどんはすでに茹で上がり、人数分すでにおかずやお茶と共にセッティングも完了している。姑が階段の下から声をかけても降りてこない。小姑絶賛スネスネ中。


私が小姑を呼びに2階に上がろうとすると姑が止めた。小姑がヒステリーを起こすと手が付けられないので、放っておけ・・・と。



いやいやいやいや・・・そうじゃないだろ!?



せっかく茹でたうどんがのびちゃうんですよ!!


私がグズる息子を抱えて必死で作ったうどんを、親子喧嘩を理由に食べないとか失礼すぎるでしょ?何よりも・・・のびちゃうんだって!!


小姑にももちろん頭にきていたけど、きっかけ作っておいて、小姑がキレて勝手なことをしているのに、ここに来てまた小姑を庇う姑にむちゃくちゃ腹が立ってきた。いつもそう。小姑が何かでキレてヒステリーを起こす~大抵自分に不利な事があったり図星な事があったりするとスイッチが入る~手が付けられなくなり、姑がそれに負けて小姑の機嫌が直るまで放っておく、そのヒステリーのきっかけが私や旦那だったら必ず小姑を庇う、というパターンをここ1年半で私は何度も経験していた。


さすがの私も初めてここでプチっと切れました。
なんせ、せっかくつくったうどんがかかってますから!!「いい嫁キャンペーン」終了の鐘が遠くの方で鳴り始めました。


必死で止める姑を払いのけて階段を上がって小姑の部屋に向かった。


「っざけんなっ!!!」


多分私はこの言葉を最初に発したと思う。


そして、人がせっかく作った昼食をスネて食べない事の愚かさを語った。


小姑は・・・。
「私が出て行けばいいんでしょ!?」
「〇〇ちゃん(私)は”共同生活”って言うけど、私達は家族じゃないの!?」
とか泣きながら意味不明な言葉を連発。
(実はこの何日か前に旦那と小姑が揉めていて、その内容に私も含まれていたため、この事に対して訴えていた模様。これはまた後日。)


はぁあああああああ?????
今問題にしている事とま~~~ったく関係ない事を、自分が被害者ですオーラだしながら泣きわめくのやめてくれます?


売られましたので買いましょう。
普段の小姑の自分勝手な振舞い、いい歳した社会人であるにも関わらず年金暮らしの母親と結婚して子供もいる弟のスネをかじり、家の事もなにもせず、生活費もろくにいれず、自立せず、好き勝手している。・・・自分の立場が分かっているのか?ここはあなたの実家ではあるが、もはやあなたの家ではない。あなたはこの家の居候的存在であることがわかっているのか?等々、溜まっていたことを吐き出してしまった。


案の定、私の言葉の汚さ(認めす、でも怒ってたんで)、きつさ(これは仕方ないです、標準語なので普段からきつく聞こえるとこっちの人に言われます)、大きさ(これも仕方がない、地声がデカい上に怒っているので倍の音量になってました)から、知らぬ間に私が小姑に対してひどい事を捲し立てているという図に姑の目には映り、この事に関しては全面的に私が悪者になってしまったのだ。


この事件、その後揉める度に姑の口から出るようになり、きっかけとか理由とか前後関係とか肝心な内容とかはすっかり脳内で削除され、


ある日
私が
小姑に
「こんにゃろ~~~~っ!!」と
すごい血相で階段を上がって
威圧的に
汚い言葉を浴びせまくった


という話になってしまいました。親戚の前でもこの話をして、いかに私がひどい嫁かを訴えた事もありました。


う~ん?間違っていないけど・・・正しいところもあるけど・・・でも大切な所が全て抜けてますよ、お姑さん。
あとね、私、どんなに怒り狂っても「こんにゃろ~!!」とは言いません。これだけは間違いないです。「ふざけんな!」とは言ったけど絶対に「こんにゃろ~!!」とは言ってません。・・・ま似たり寄ったりなんですけどね?


私はただ、せっかく作ったうどんがのびちゃから!子供じゃないんだから、親子喧嘩でスネてる場合じゃなくって、いいから食べてくれ!!


と言いたかっただけなのに、その後何年も言い続けられるワースト5な事件になる位大事になってしまったのが残念でなりません。


たかがうどん、されどうどん。


うどんでここまでの大事になったお話でした。

運動会事件

お久しぶりです。
PCが壊れ、放置している間にIDもパスワードも忘れ、ブログの存在すら忘れ、すっかり更新していませんでした。


さて久々の投稿は、息子が小学生になってからのとある運動会の話です。ふと思い出したので。


息子の小学校は毎年9月の3週目位の週末に行われます。時間がすっ飛ぶのですが、この頃は同居に耐えかねて、敷地内にあった2間の離れに私たち家族は住んでおりました。(このお話はまたいつか…)


お姑さんには事前に運動会のプログラムもコピーして息子の出る演目にもマーカーをつけて渡していたので、特に何も考えずに運動会当日を迎えました。私の母も前日から息子の運動会のために飛行機に乗って来ていました。母に関しては夏休みに入る前あたりからしつこい位に、


「運動会はいつなの?」


と問い合わせがあったので、学校で日程が発表になった地点で連絡をしていました。多分母はその地点で飛行機のチケットを買っていたと思います。


さてさて運動会当日。
朝から弁当を作り開会式に間に合うように出発。毎回お姑さんは自分の時間で来ていたし、プログラムも渡していたので何も気にせず、出かけるときに「先に行きますね~。」みたいなノリで母と旦那と一緒に家を出ました。


この地点でお姑さんの怒りの第1スイッチが入ったようですが、爆発するのはそこから何日後かになります。


滞りなく運動会も終わり、私たち家族はせっかく来てくれた母と一緒にそのまま1泊で近くに泊まりに行った・・・記憶があります。母はそのあとそのまま空港に送って帰ったので、出かける際には母屋のお姑さんのところにいき、お線香をあげさせてもらって、挨拶をしてから出たのを覚えています。


問題が起きたのは母を送って私たちが夜家に帰ってきた後。
何がきっかけだったのかはその時私はいなかったのでわからないんだけど、旦那とお姑さんが揉めていました。
「なになに?」
と行ってみると・・・激しく口論をしておりました。旦那もかなりブチ切れ状態。


お姑さんが今回の事でかなり文句を言っていました。


まとめると・・・。


1.私の母親には運動会の日時を事前に知らせているのにこちらには何も言ってこない。
2.運動会開始の時間等何も教えてくれない。当日勝手に私の母だけ連れて出発した。
3.運動会後に私たちが私の母と泊りがけで出かけたのがきにくわない。



だそうで・・・。


えっと・・。


色々と私に対しての不満を抱えていて、主に3で爆発した模様。


以下こちら側の言い分。


1.毎年同じ時期に運動会はあるし、事前にきちんとプログラムを渡しているので、怒る理由がわからない。確かにプログラムを渡したのは2~3日前だったかもしれないけど、毎年に同じ時期にもう何年もやっているのだから、その位わからないだろうか?私の実家への連絡の方が(飛行機を取る時間とかを考えて)自分よりも早かった事に対して怒っているみたいだけど、私の母はもう夏前からしつこい位「運動会いつ?」「運動会の日程決まった?」と気にしてくれていたのでわかった地点で連絡したわけであって、お姑さんに関しては、敷地内住み、毎日顔を合わせているのだから「そろそろ運動会だけどいつなの?」と一言聞いてくれればいいだけなのに。


2.開始時間だって、毎年同じだし、プログラムにも書いてあるでしょ?・・・と思ったら、私がコピーしたのが演目の見開きのページのみで、開会時間の書いてあった表紙を渡しそびれていたことが発覚・・・。にしても・・・それも「明日何時に行けばいい?」とか聞いてくれたらいいだけじゃないの?それに毎年、自分のペースで来ていたじゃないですか。こちらは少し早めに行って席取ってて、後から来てたじゃないですか?
これも私の落ち度なんですか?


3.そこまで事前じゃないけど、どこかの地点で「出かけてきます」と伝えたことは確か。まあ、伝えようが伝えまいが気に食わないようなので仕方ない。


お姑さんの分も小姑の分もお弁当作って、一緒に食べられるようにお誘いしても、「ご馳走様」も言わずに当然の顔されていた運動会の何回目かだったし、こちらはこちらで気を使ってプログラムにマーカーして渡したりしてきたのに・・・年に1回の大イベントでこの仕打ち・・・それも一方的にこちらがすべて悪いかの言いよう。



さすがの旦那もキレまして、近所中に響き渡る声で親子喧嘩をしておりました。息子は父親のキレっぷりにびっくりして泣き出すし・・・。最悪でした。


色々な事件が10年であったけど、だいたい同じ。お姑さんは自分からは動かずいつも受動態。そして自分が知らなかったり聞いてなかったりするとスイッチが入る。ひどいときは自分が忘れているだけの事に対してこちらのせいにしてキレる。
私は嫁に行った身なので、私や旦那が私の両親を先にすることが気に食わない、というのは最後の最後まで言い続けていたな。




こんな積み重ねが同居解消、敷地内同居(別居?)、完全別居への決心と実行になっていったわけなんだけど、たぶん今お姑さんにこの話をしても、理解できないんだろうな。