いい嫁をやめるまで

10年かけて同居解消、そしてほぼ疎遠状態になるまでの記憶と記録

完全同居での部屋割り事情~新婚夫婦の向かいの部屋に~

同居が決まった旦那実家の2階には3部屋あった。
元舅と姑の寝室、元旦那の部屋、小姑の部屋。元舅と姑の寝室と元旦那の2部屋を私たち夫婦が使う事になった、と言うか、既にもう決まっていた。


寝室を空けてくれた姑は1階に移るものだと思っていたら…2階の小姑の部屋に同居?する事になっていた。


え?母と娘が同じ部屋!?


部屋数が少なくてそうなるならまだしも…いや、そうであれば私たち夫婦が2部屋占領するのは申し訳ないので1部屋でどうにかするとか考えてもよかったんだろうけど…。1階にまだ部屋はあるのになぜわざわざ30過ぎた娘と同じ部屋を使う?


それも、その2人の部屋は私たちと同じ2階、お向かいさん。


一応言っておきます。新婚です。新婚。


小姑(と姑)の部屋のドアを開けると、ドーンとベッドが2つべったりとくっついて並んでる。そんなに広くない部屋なので入ったらもうベッド。空いているスペースにテレビとタンスが置いてあり、ほぼ床面は見えない。部屋に入ったらすぐにベッドに上がる、とういう構図。


私は実家では自分の部屋は与えられていたし、就職してから少しした地点で一人暮らしを始めていたので、母親と同じ部屋で寝る事は旅行以外になかった気がする。小姑だってもういい歳なんだし、プライベートは欲しいんじゃないだろうか?私だったら母親と同じ部屋なんて絶対に嫌だ!って思うけどな。


部屋を空けて頂いて申し訳ないんだけど、私はこの母と娘が同じ部屋ってのを目の当たりにして、正直


きもちわるい

と思ってしまった。


そしてまだ1階に部屋があるのに、新婚夫婦とその母と娘が同じフロアで寝起きする、という事にとんでもなく衝撃を受けた。


向こうは最大限私に譲ってくれたって事なんだろうけど、申し訳ないけど1階にまだ空い部屋があるんだから、2階は夫婦のスペースにしてくれないかなぁ、とぶっちゃけ思ったけど、新参者の私はもちろんそんな事は言える由もなく…。


まずは部屋割りでストレスが溜まる日々が始まった。

完全同居での部屋割り事情~ベッド~

旦那実家での同居が始まった。


今日はこの家で暮らす5名(姑、小姑、旦那、私、大姑)の部屋割りについて書いてみる。部屋割りにおいても「???」な違和感?考え方の違い?育ってきた環境の違い?が顕著にでてくる。


私がこの家に加わるという事で、姑が故舅が寝室として使っていた部屋を空けてくれる事になっていた。これで私たち夫婦には、旦那が元々使っていた部屋とその寝室とで2部屋があてがわれることになる。戻旦那の部屋は二人のリビングとしてテレビやソファーなどを置き、もう一部屋を寝室として使う予定にしていた。


まず最初にビックリしたこと。


ベッド


空けてくれた寝室にはセミダブルのベッドが残っていた。フローリングだったしベッド、それもセミダブルのベッドがあるのは、まあ、ありがたいと言えばありがたい…のかな?


・・・しかしそのベッドは故舅が突然死した時に寝ていたベッド。実際そのベッドの上で亡くなっている事は聞いてた。そして私たちは一応新婚。舅のお古で、舅が亡くなったベッドを新婚の私たちが使うんですか???


姑はちょっとドヤ顔気味で「使ってね~。広いからいいでしょ?」な感じ・・・。新築して引っ越してきた時に色々揃えた家具の一つなんでしょうね?それなりにズッシリと重い、かなりいい値段しそうなベッド。ひと昔以上前の婚礼家具っぽいやつ。でも、明らかに私の趣味ではないし、とにかくそんな曰く付きのベッドを残され、使えと言われても…。


私は、部屋を空けてくれたと聞いていたのですっかりさっぱり何もない部屋を想像していたのに~なんなら軽くリフォームとか美装してくれててもよかたんだけど~ドア開けたらドーンとこのベッド。そして故舅が使っていたであろうちっちゃなマッサージ器やら何かよく分からないモノが入っている大きなカゴ。ドアを開けた瞬間固まりましたわ。


なにこれ?

色々と期待しすぎていたんですね、私が。部屋を一部屋空けてくれただけでも感謝しなくちゃいけないんですよね。分かっています。


しかし、ベッドといい、残された意味不明な荷物といい、見た瞬間私の中で「これは違うんじゃ?」というこの家に対する違和感がふつふつと湧き上がるのを感じた瞬間でした。

家に食費いくらいれますか?

結婚=同居という形で私の新婚生活はスタート。


私は大都市で仕事してたけど、所謂「寿退社」ってやつをしてこの街にやってきた。落ち着いたら仕事探すつもりで、とりあえず失業保険の手続きだけ始めるところだった。


結婚までの5年間は一人暮らし。決して高い給料ではなかったけど、「財形」とか「積み立て貯金」とかして、辞めた時には結構な額の貯金があった。


さて、その5年間住んだ所からある程度の荷物を引越し業者に頼みお引越し。
「同居」が決定してしまったため、あまりモノは増やせないと思い、同僚やら友達やらを呼んで無料のガレージセールを行い、食器とか棚とか、欲しい人には全部あげて半分は処分。


減ったとは言え、トラックは一杯になったし、距離があったので引越し屋だけに20万かかったわ。電化製品とか不用品の処分とか諸々含めたら30万は超えてたかな。


舅の死後半年近く経っていたので、婚家は少しずつ日常を取り戻しつつある時だった。


荷物を整理しつつ同居生活を始めて何日かしたとき、今後このローンを抱えた家で生活するにあたり、誰がいくらお金を入れていくか、という会議があった。


参加者は

小姑
旦那

※大姑は家にはいたけど参加せず。


前回書いた通り、私が嫁いだ家には住宅ローンがたんまり残っていて、その名義は旦那。この家に住んでいるのは上記の5名。ローンを払って、公共料金、食費、日用品等を5人が生活出来る分、出しあっていかなくてはならない。


旦那&私 12万 (この地点で私は無職・ボーナス月は追加予定)
姑    7万  (遺族年金丸ごと。自分の年金は姑の小遣い)
小姑   2万
大姑   不明 多分なし


当時住宅ローンの支払いはローンは月8万、ボーナス月12万。


会議と言っても、既に話はついていたらしく、私は結果を聞いただけ。


一人暮らしをしていた私には、公共料金とか5人分の食費とかで月いくらかかるのか、全く未知の世界だったし、来たばっかりの新参者なので意見は出来ず、
「わかりました」
と会議終了。


しかし・・・。


小姑の2万て少なくね???


当時30超えてた小姑。30過ぎて定職につかずにアルバイトをしていた彼女に対し、それまで一応ちゃんと働いてきてそれなりに貯金もしてきた私としてはちょっとモノ申したいところだったんだけど、なんせ猫被っていい嫁しなくちゃって思っていた時だし、何よりも自分は無職だったんで言える立場でもないわけで。


でも、なんか引っかかったんでお姑さんに
「お義姉さんは今までいくら家に入れていたんですか?」
と聞くと、


お姑さん、もにょもにょもにょ・・・とハッキリと答えない。


このお姑さんの「もにょもにょ」のハッキリと答えず返事を曖昧にする、相手に答えを出させる、というのにその後毎回イライラさせられるんだけど、この時はまだ「???」状態。


ハッキリとしない中、何となく私の中でお姑さんからの言葉の中から情報をかき集めて整理した結果、


私がこの家に来るまで、小姑は家にお金を入れたことはなかった、という結論に達した。


小姑は家から出た事なく、ずーっと親と暮らしていた、はず。卒業してから10年以上家にお金れてこなかった。親もそれを何とも思っていなかった、らしい事を読み込んだ。


お姑さんの話で凄く覚えてるのは
「これからは小姑ちゃんもお金入れるって言ってるから!
 2万”も”入れるって言ってくれてるのよ!」


それも、かなりなドヤ顔で。


「これから”は”」?
「2万”も”」?


そこ、ドヤ顔するとこ???


「ごめんね、2万しか入れられないみたいで。」


じゃないんだ。


成人した娘が実家で暮らしているときの「食費」の相場って私も知らなかったんだけど、入れてなかったって事にはかなり衝撃を受けたし、「2万」でドヤ顔されたのには本当にビックリしたわ。都会と田舎じゃ違うのかなあ・・・私の認識がおかしいだけなのかなあ?モヤモヤモヤモヤ・・・。


でもさ、大黒柱であった舅がなくなり、旦那名義のローンとは言え、一緒に生活していくわけでしょ?一人頭平均6万だしているのに、なぜ小姑は2万なの???


モヤモヤしたけど・・・とりあえずそんな感じで各自負担分が決まり、私の同居生活がはじまったわけである。


その後、小姑は「今月ちょっとピンチで・・・」とか、バイト辞めたたりして、1万5千円になり・・・1万になり・・・最後は入れなくなっていくわけだけど、これはまた別の機会に詳しく。


この地点で、私が生きてきた中でのお金に対する価値観と姑、小姑の価値観が大幅にズレている事に気付きはじめ、その後、とにかくお金について揉める事が増えてくることになる。最後の泥沼も結局「お金」だったし。


全てにおいて「価値観」の違う婚家での生活。まだ始まったばかり。