いい嫁をやめるまで

10年かけて同居解消、そしてほぼ疎遠状態になるまでの記憶と記録

完全同居が始まる

義父の突然死という思いがけない事が起こり、当初同居の予定はなかった私たちが同居する、それも完全同居になってしまった訳を書いておこうかな。


その前に…。
今までは結婚前の話で、登場人物の表記が曖昧だったからここで統一しておきましょうかね。


旦那 私より2つ下
舅=義父 旦那の父親 結婚の挨拶の一月後に突然死 
姑  専業主婦
小姑(旦那の姉・旦那より3つ上・独身)
大姑(故舅の母) ないに等しい年金暮らし
         まだ登場してないけど、今後色々な意味で大活躍予定
叔父 (故舅の弟)この方も登場してないけど、色々と絡んでくる予定


私と旦那の結婚が決まった時、旦那は実家に住んでいた。
舅・姑・小姑・大姑と一緒に。


当時その家は築7~8年。大舅(舅の父)が亡くなった時に、大姑が一人ぽっちになってしまうという事で長男である舅一家(旦那一家)が実家を壊し、その土地に新築の家を建て、舅一家と大姑が同居する形になった。
家を新築した地点で舅は50過ぎ。ローンを組むには遅すぎる年齢であり、貯蓄もそんなになかったため、当時流行っていた(?)親子ローンを組むことに。持病もあり団信にも加入できなかった…らしい(後に入れたことが発覚するも時すでに遅し。)
長男の長男である旦那(当時は違う土地に就職していた)は、散々親子ローンに反対したものの、姑からの「迷惑かけないから」の一点張りに折れてハンコを押してしまう。


これが全ての始まり。


この、「家を親子ローンで建てた」と言うのが全ての元凶になり、今後この事で揉めにもめ、10年かけた泥沼劇が始まるのである。


舅の突然死により残りの住宅ローンは全て旦那に振りかかった。35年ローンのうち、まだ8年程しか払っていない状態で。


結婚すると決まった時は、まだ舅は現役だったし、小姑もまだ独身で家にいたため、私たちの同居話は、「とりあえず新婚だし」、「もしするとしても先の先の話」、と深く考えずにいた。これが間違いの一つ。結婚する際、きちんと先々の話をきちんとすべきだったことを後々になって知る事になる。


そして結婚前に「親子ローンを組んでいる」と知っていたにも関わらず、深く考えずに結婚を決めてしまった自分を今でも許せない。この地点で旦那との結婚を考え直すべきだったと今でも思う。今だったら・・・「旦那とは結婚しない」の一択であることは否めない。若気の至りというか、無知と言うか、勢いというか・・・


舅が亡くなって、さあどうする?となったとき、姑は専業主婦、小姑はアルバイトだったため、彼女たちだけの経済力でローンを払いながら生活していくのは無理と言われ、同居が絶対条件となってしまった。
この地点で「結婚は出来ません」と言えば良かった。本当に。しかし旦那との結婚を無しにすることはその時の私の選択肢にはなかったのだ。そして引き返せない負のスパイラルにズボズボはまっていくのである。


こうして


結婚する=同居する、という事になってしまったのだ。

小姑(義姉)に寝室を開けられる事件

初めての義実家への挨拶から約一か月、義父がくも膜下出血で突然死をとげる。
このことにより、当初同居の予定はなかったのに、必然的に同居が決まってしまうわけで、ここから私の同居生活での暗黒時代が始まるんだけど…とりあえず、その件はもうちょっと後で詳しく書くとして、今回はまだ会って2度目の小姑(義姉)にビックリした事件を2連発。


義父の急死の仕事中旦那から聞き、急遽会社を早退し飛び込みで飛行機に乗り、義実家へと向かう私。当時はLCCなんてないからANAだかJALだか、とにかく空席のある便を通常価格で購入。片道4万弱したんじゃないかな。取るものも取らず状態で義実家に到着。玄関先まで出てきてくれた姑(義母)と小姑(義姉)。なんと言葉をかけたら良いのかわからず、つい
「突然の事でビックリしました。」
と言うと、義姉がちょっとムッとした感じで
「ビックリしたのはこっちだよ。」
と…。


え?


あ、そうですね。その通りですよね?私の葉の選び方がまずかったです、すみません…。ん?そうなの?私がいけなかった???どう声をかけるのが正解だったの???10年以上経った今でもちょいとモヤモヤするひと言がコレだったりします。「わざわざ遠いところありがとう。」とかじゃないんだ。


なんやかんや、あちこちから親戚等が集まり始め夜になり、寝ることに。もうてんやわんだったし、「おかまいなく」状態で、とりあえず私は旦那の部屋のベッドの横に布団を敷かせてもらい寝ることに。この時は一応既に「婚約状態」ではあったからね。でも、旦那だって突然父親を亡くしているわけで憔悴しきっている上に「喪主」させられてもうもうそれどころではない状態。ただ、本当に辛そうだったので落ち着くまで旦那のベッドに入って手をつなぎ、抱き合ってはいた。


翌朝。そろそろ起きて手伝わないとな、と思っていた時、小姑が2階にトントントンと上がってきた。
コンコンコン
とノックの後、間髪いれずにドアを開け
「起きて!」
と。


え?え?


いやいや、すでに私はベッドの横に敷いた布団の中だったし、いいんだけど…。旦那だってほとんど眠れずだったから、すぐ起きたし。てか、ドア開けるか?ノックして外から声かけるので十分じゃない?弟夫婦(いや、まだ結婚してないけど)の寝室のドア、開ける?


しばらく私は今起きていることが理解できずに茫然としてましたわ。


未来の嫁としてもっと早く起きて手伝うべきだったんですよね、これはきっと。起こされてんじゃね~よって事なんですよね、これは・・・すみません。


でも…本当に自分の中では「婚約中の二人の寝室をノックをしたとは言えバンっと開ける行為」はありえなくて。


2回目に会った時にこの2度の衝撃。


これはもう、先々ヤバい事確定だね。なんせこの人と同居するんだからさ。

バスタオルは持って行くもの?

初めましてのご挨拶のため、現旦那の実家に泊まりに行ったわけなんだけど…。


突然ですが


よそ様のお宅に泊まりに行く際、バスタオルって持って行くものですか?


正解なんて各家庭で違うんだろうし、私はお客様にはバスタオルは出してあげたい派です、という事を前置きとして。


私は自分の家にお客様が泊まりに来た時は、お客様用バスタオルとフェイスタオルと言うのを準備して、お風呂に入るときには「これ使ってね。」という風にしてきた。バスタオル持参は学校のキャンプとかバスタオル有料とかの温泉だけだと思ってずっと生きてきた。友達の家に泊まりに行かせてもらっても同じ様にバスタオルとフェイスタオルを出してもらっていたという記憶しかない。実家でもそうだった。親戚が泊まりに来た時もバスタオルは用意していたと記憶している。


さて、後の婚家となる家に2日間お世話になったときの話。
お風呂をすすめられて「お先にいただきます」と挨拶をして脱衣所に入り、服を脱ぎ始めて気づいた。…あれ?バスタオルない???脱衣所のタオル掛けにはこの家の家族の分のタオルが掛かっていた。でももちろん私の分はない。それっぽいお客さん(その時は一応お客さんのつもり)用のものも準備されていない。


さて、どうしたものだろう・・・。


もう半分服ぬいじゃったし、バスタオルなんて持ってきてないし、「バスタオルどこですか?貸して下さい。」なんて事も言えず・・・。結局たまたまポケットに入っていた大きめのハンドタオルで髪の毛、身体、全部拭くという情けない状態になってしまったんだよな。当然大き目とは言え所詮ハンドタオル、びちょびちょになりましたわ。


翌日は学習して、カバンに入れていたフェイスタオルを持参してはいったけどね。


これも???な出来事だった。バスタオルを準備する/準備しないというのはその家庭によって違うんだろうし、準備してない私がいけないとも言えるんだけど、「バスタオルは貸してもらうもの」と信じて疑わずに生きてきた私にとってはかなり衝撃的な出来事だった事なんだよね。


ちなみに、同居開始後、後の姑の親戚が何人か法事で泊まりに来ることになるんだけど、その時もバスタオル、出してなかったな。
私が
「きれいなバスタオルとか準備しておきましょうか?」
と言ったら、
「なんで???」
と微妙な空気の後、却下されたことがあったな。その微妙な空気の中には「そんな必要ない」って雰囲気がびゅんびゅん醸し出されてた。
泊まりに来た親戚は持参したフェイスタオルを各自使い、泊まっていた部屋の自分のカバンの上とかに広げて干してたっけ。
何日か泊まったはずだから、そのタオル、洗わずに毎日使ってたんだろうね?
私ならせめて、洗濯してあげるのに…とか、干すためのハンガー出してあげたのに…とか思いつつ、出しゃばれずに何もできなかったな。


バスタオル一つで各家庭の違いを思い知るという…この先この出来事と比べ物にならない位のカルチャーショックを数えきれない程受けるという事を、この時の私はしるよしもない…わけである。