いい嫁をやめるまで

10年かけて同居解消、そしてほぼ疎遠状態になるまでの記憶と記録

地獄の新盆~料理を任される~

舅が亡くなって最初のお盆。新盆がやってきた。


こちらでの冠婚葬祭事情が分からなかったわけだけど、ある日
「新盆でのお料理は翼ちゃんにお願いしようと思うの。」
と姑に言われた。


「え?・・・あ、はい。分かりました。」


よく分からない上に断定的に言われてしまったため、うっかり二つ返事で承諾してしまった。この時は「いい嫁」目指してたし。


聞けば、10人位の親戚分の料理の支度を任されたって事だったらしい。我が家の住人5名を入れたら15人じゃないか!!


「一体どんなものを作ったらいいんでしょう?」


という問いには


「う~ん・・・。どうかしらねぇ~?
 なんでもいいわよ。翼ちゃんに任せるから。」


え~~~~~~~~!!!!!


料理は嫌いじゃないけど、その人数、どんなものを作ったら良いのかも教えてくれない。一体どうしろと?


新盆前にはリストを作り、買い物に行き、予め仕込めるものは何日か前から仕込みを開始。姑も手伝ってはくれたものの、基本私がメイン。仕出し屋にもある程度頼んでいたため、私はつまみ系の物を作れば良いって事だったんだけど、本当に何をどれくらい作ったら良いのわからないし、何を作ったのか、半分以上覚えていない。でも結構な品数、量は作っていた、はず。


この時私は妊娠発覚直後。幸い悪阻は殆どない状態だったけど、真夏に朝からずっと台所に立ち料理、配膳。親戚連中に気を使いまくり、少なくなった料理を補充、お酒を飲む人たちもいたのでその辺もチェックして仏間とキッチンを行ったり来たりで一日が終わり、全員が帰った後は放心状態になった。


多分この時親戚に私の妊娠報告をしたので、何人かの親戚は私がちょこまか動きまくっているのを見て
「大丈夫なの?」
「もういいからゆっくり座りなさい。」
とか声を掛けてくれていた。


・・・今思い出しても
2度としたくないイベント?に入る。


この頃ようやく「田舎の長男の嫁になる」という事がどう言う事なのかを気づき始める。
(本当に何も考えずに結婚してしまったって事に気づくが、時すでに遅し。)


後から知る事になるんだけど、姑は「おもてなし」というか、他人に料理を作る事を苦手とし、極力避けていた。決して料理は下手ではないけれども、それまで散々大姑(姑の姑)に料理についてボロカス言われてきていたため、それがトラウマになり、自信をなくしていたそうだ。人様・・・家族以外の人間、それも小うるさい親戚連中に多種多様の料理を作るのが、すごく怖かったらしい。


だからって・・・まだこの家に来て間もない、この家の味すら教わってない私にほぼ全てを丸投げするかなぁ?まずは「引継ぎ」しない?もしくは、和気あいあいと一緒にキッチンに立ち料理をする、とか。
「私はこれは作っておくから、あとはヨロシク。」スタイルはどうなの?別に混ざりたいとかはなかったけど、親戚連中がワイワイ楽しくしている中、私はキッチンで孤独を感じて泣きそうだったよ。


これも「長男の嫁」宿命?


この後、どんどん料理に関しても日々イライラ、モヤモヤがつのっていくことになるわけである。
ま、キッチン一つに女4人(大姑、姑、小姑、私)いては、上手くいくわけがないってもんだから、必然と言えば必然かな。

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