いい嫁をやめるまで

10年かけて同居解消、そしてほぼ疎遠状態になるまでの記憶と記録

自立を目指さない小姑

前回の記事


「跡取り息子(旦那)が結婚をし、同居をしたら、(成人した)独身の姉(小姑)は出ていく」問題。


私はそれを信じて疑わなかったため、同居し始めてかなり早い時期から違和感を覚え始めていた。


舅が突然亡くなってしまい、”同居”という選択肢しかなくなってしまったのは仕方ないけど、私はある程度経ったら小姑は自立してこの家から出ていくものだと思っていた。


が、どうやらこの家の考え方は違っていたらしい。


当時小姑はアルバイトをしていた。地方でのアルバイト。詳しくは知らないけれども最低賃金程度の時給だったはずだ。お金関係で揉める度、姑が
「小姑ちゃんは月10万も稼いでないのに。」
と言っていたので。勤務時間もそう長くなかったようだし、休みも結構あったので、フルで働いている風でもなかった。私はこの頃ず~っと家にいたため、小姑が家にいる時間は全て把握していた。


とにかく・・・小姑は自立出来る額は稼いでなかったようだ。


私は、小姑も30超えていたし、同居をきっかけにアルバイトではない安定した仕事を探して自立を目指し、何年か(私の中では1~2年)お金を貯めて、この家を出ていくんだろうな~と勝手に思っていた。


が・・・。


そうではなかった。


小姑は職探しをしている様子もなく、アルバイトを増やしたり変えたりする感じもなく、何も変わらずな生活を続けていた。


それどころか、ある日突然このアルバイトを辞めて無職生活をしばらく送る事になる。当然家に食費もいれなくなるわけで。(この話はまた後日)


自立しなくちゃ
とか
もうちょっと家にお金入れなきゃ
とか
もうちょっと稼がなきゃ
とか
正社員めざさなきゃ
とか


何にも考えずに、親の年金と兄の給料で生活している事に対して何も感じずに、将来に対する不安とかを全く持たず、のほほ~んと生きている小姑。


それに対して何も言わず小姑のしたい様にさせる姑。


この地点で完全無職の私が言うのもなんなんだけど・・・。


健康で働き盛りの30過ぎの女性が、実家にパラサイトしている状況に、それを当然としているこの人たちに対して、私の中でイライラ感、モヤモヤ感が日々溜まっていくのである。


これも考え方の違いなんだろうか。

跡取り息子が結婚し同居したら、独身の兄弟は出ていくべきか

この根本的な問題にズレを生じたまま結婚し、同居してしまったのが最大の間違いだった。そしてこれが最大の問題、最大の原因、最大の理由で揉めに揉めて最後は泥沼をすることになる。約10年間、揉め事の原因の根本はいつもコレだった。


私は
「跡取り息子(旦那)と結婚をし、同居をしたら、(成人した)独身の姉(小姑)は出ていく」ものだと信じ疑わなかった。それが当然だと思っていた。


そして、姑と小姑は真逆の考え方だった。


お互いにそれが当たり前だと思っていたので、同居をする際、わざわざこの事について話すということは当然なかった。


これが最大のミス。


こればっかりは本当に考え方なのかもしれない。地域によっても、年代によっても差があるのかもしれないし。


しかし、お互いに信念をもってこの思考を持ってこの生活を始めてしまったため、分かりあえることははなく、永遠に平行線をたどったままになってしまう。


この問題は今後、事あるごとにここに登場することになる。


我が家の永遠のテーマである。

地獄の新盆~料理を任される~

舅が亡くなって最初のお盆。新盆がやってきた。


こちらでの冠婚葬祭事情が分からなかったわけだけど、ある日
「新盆でのお料理は翼ちゃんにお願いしようと思うの。」
と姑に言われた。


「え?・・・あ、はい。分かりました。」


よく分からない上に断定的に言われてしまったため、うっかり二つ返事で承諾してしまった。この時は「いい嫁」目指してたし。


聞けば、10人位の親戚分の料理の支度を任されたって事だったらしい。我が家の住人5名を入れたら15人じゃないか!!


「一体どんなものを作ったらいいんでしょう?」


という問いには


「う~ん・・・。どうかしらねぇ~?
 なんでもいいわよ。翼ちゃんに任せるから。」


え~~~~~~~~!!!!!


料理は嫌いじゃないけど、その人数、どんなものを作ったら良いのかも教えてくれない。一体どうしろと?


新盆前にはリストを作り、買い物に行き、予め仕込めるものは何日か前から仕込みを開始。姑も手伝ってはくれたものの、基本私がメイン。仕出し屋にもある程度頼んでいたため、私はつまみ系の物を作れば良いって事だったんだけど、本当に何をどれくらい作ったら良いのわからないし、何を作ったのか、半分以上覚えていない。でも結構な品数、量は作っていた、はず。


この時私は妊娠発覚直後。幸い悪阻は殆どない状態だったけど、真夏に朝からずっと台所に立ち料理、配膳。親戚連中に気を使いまくり、少なくなった料理を補充、お酒を飲む人たちもいたのでその辺もチェックして仏間とキッチンを行ったり来たりで一日が終わり、全員が帰った後は放心状態になった。


多分この時親戚に私の妊娠報告をしたので、何人かの親戚は私がちょこまか動きまくっているのを見て
「大丈夫なの?」
「もういいからゆっくり座りなさい。」
とか声を掛けてくれていた。


・・・今思い出しても
2度としたくないイベント?に入る。


この頃ようやく「田舎の長男の嫁になる」という事がどう言う事なのかを気づき始める。
(本当に何も考えずに結婚してしまったって事に気づくが、時すでに遅し。)


後から知る事になるんだけど、姑は「おもてなし」というか、他人に料理を作る事を苦手とし、極力避けていた。決して料理は下手ではないけれども、それまで散々大姑(姑の姑)に料理についてボロカス言われてきていたため、それがトラウマになり、自信をなくしていたそうだ。人様・・・家族以外の人間、それも小うるさい親戚連中に多種多様の料理を作るのが、すごく怖かったらしい。


だからって・・・まだこの家に来て間もない、この家の味すら教わってない私にほぼ全てを丸投げするかなぁ?まずは「引継ぎ」しない?もしくは、和気あいあいと一緒にキッチンに立ち料理をする、とか。
「私はこれは作っておくから、あとはヨロシク。」スタイルはどうなの?別に混ざりたいとかはなかったけど、親戚連中がワイワイ楽しくしている中、私はキッチンで孤独を感じて泣きそうだったよ。


これも「長男の嫁」宿命?


この後、どんどん料理に関しても日々イライラ、モヤモヤがつのっていくことになるわけである。
ま、キッチン一つに女4人(大姑、姑、小姑、私)いては、上手くいくわけがないってもんだから、必然と言えば必然かな。